老いのまさに至らんとするを知らず

【孔子本人が、孔子の人となりを聞かれた際に、弟子の子路へ、なぜこのように答えなかったのか。/孔子が自分を評したことばと言われています。】

「心が激すると食事も忘れ、楽しむときは一切の心配ごとを忘れ、熱中のあまり、老いが迫っている身であることも気づかないほどの人です。」と孔子本人が言ったそうです。

このとき孔子、63歳の時でした。日常にも老いを感じる場面は歳を重ねるごとに増えてきます。認めたくはないけれど、受け入れなければなりません。

そんな時、老いていく自分を忘れてしまうくらいに熱中するものがあると、暮らしを大きく変えてくれそうですね。老いることは、小さなことではありませんが、なんだか考えている自分が小さなものに感じてしまいます。

全ての人に老いはやってきます。避けることはできないことですが、暮らしを充実させることが、これからの自分の生き方を大きく変えることができるかもしれません。

「お若く見えますね。」と言われて、「歳をとることすら忘れてました。」と言ってみたいですね。

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