自分で”普通”を作ってしまわないこと、必要ですね。

【自分が普通と想いたいことって、たくさんありますね。】
ただ、”普通”とは、何をもってそうなのか、誰が普通と決めることなのか、可もなく不もなく、普通であることに馴染んでいませんか。
“普通”という言葉は、便利なこともあり、なりたい自分であるようであっても、そうは想いたくない自分がいます。
どこかで、普通以上のレベルであると信じたいこと、たくさんありますね。
自分が、普通のレベルを決めて、若干でも、それ以上になりたいということは、至極一般的なことですね。
自分自身としては、決して普通レベルを創ってしまわないこと、人は千差万別、全く同じ人は世界中を探してもいません。
そんな中で、普通を決めてしまうことはできないと言った方が正しいように感じてしまいます。
誰か、相手がいる場合においても、普通であって欲しいと想わないこと、それは誰かの真似をするわけでもなく、誰かに決めてしまうわけでもありません。
あくまで、普通であっても、決して普通ではありません。